あさま山荘事件!鉄球は何故失敗?白田弘行とはどんな人物?

あさま山荘事件とは、1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある「浅間山荘」において、連合赤軍が人質をとって立てこもった事件です。

酷寒の環境における警察と犯人との攻防がテレビで生放送され、世間の注目を集めました。2月28日の総世帯視聴率は89.7%に達しました。

スポンサーリンク

あさま山荘事件とは?警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録

2月19日の午後3時ごろに、左翼の過激派「連合赤軍」のメンバー5人が、河合楽器の保養所「浅間山荘」に逃げ込んで、山荘で留守番をしていた管理人の妻・牟田泰子さん(当時31歳)を人質に立てこもりました。警視庁機動隊や長野警察機動隊が、山荘を包囲して人質の救出作戦を行いますが、難航しました。

事件が解決したのは、10日後の2月28日でした。部隊が強行突入して、人質は無事に救出され、犯人5人は全員逮捕されました。

事件が起こってから人質が解放されるまでにかかった時間は219時間。警察が包囲する中での人質事件としては、日本最長記録です。あさま山荘事件では、機動隊員2名と民間人1名が亡くなりました。重軽傷者も27名出ています。

→日大アメフト部、内田正人監督の経歴!監督の給料や年収は?

人質の限界が予想された日に強行突破作戦!鉄球で階段を壊す

あさま山荘事件は、寒さが厳しい軽井沢町の冬に起きた事件でした。「人質は、極度の恐怖と寒さの中で監禁されているので、10日が限度だ」とされ、事件が起きて10日目には強行突破作戦が実行されました。作戦は、「山荘内部の階段を壊し、人質と犯人を分断して、安全に人質を救い出す」ものでした。

階段は、鉄骨が使われていたため、ビルの解体工事に使われる鉄球を使用する事が提案されました。

鉄球は、直径70センチ、重さ1.7トン。アメリカ製の大型クレーン車から吊るされた巨大な鉄球の威力は絶大で、階段をぶち壊しました。しかし、人質は犯人と同じ階にいる事が分かりました。

スポンサーリンク

安倍昭恵夫人のガチで凄い家系図!森永製菓と深い関係性

連合赤軍の報復を恐れて協力を拒む建設会社!申し出たのは白田組の白田弘行だった

鉄球作戦は、警視庁から応援に来ていた佐々氏が提案しましたが、近隣の建設会社は断り続けました。連合赤軍の報復を恐れたためです。

その中で、「やる」と申し出たのが、長野市安茂里の「白田組」白田弘行さんでした。白田弘行さんは、義弟の五郎さんに協力を依頼し、車の運転は弘行さんが、鉄球の操作は五郎さんが行う事にして、突入劇への参加が決まりました。

白田組は、戦前から軍の払い下げの車両を改造して重量物運搬を行なっていた老舗です。

当時は、在日米軍から軍用車両を多数払い下げ購入し、それらを独自に改造して営業していました。白田組は、長野県警の依頼で事故レッカーを行う事も多かったと言います。突入劇の前日に警察は、白田兄弟を呼び、1日警察職員に任じる事を伝えています。

→麻生太郎の年収や資産額!すごい金持ちなのは会社の社長だから

階段は壊れたのに鉄球作戦は失敗!?︎理由は本当は×××だったから!?

2月28日、鉄球作戦が始まりました。段の脇の柱に当たれば、建物全体が崩れ落ちてしまいます。許される誤差は、わずか20センチ。一撃で鉄球を当てるしかありませんでした。白田五郎さんは見事に一撃で命中され、階段を壊す事に成功しました。

しかし、作戦中にクレーンは故障して、作戦は失敗します。鉄球が停止した理由について、公式には「クレーン車のエンジンが激しい放水で水をかぶったため」とされています。

ただし、失敗した本当の理由は、“狭い操作室に乗り込んだ特科車両隊の隊長がバッテリ・ターミナルを蹴り飛ばしてしまったから”だと言われています。その失敗後も放水を続け、壁は壊れました。隊員が飛び込み、人質は救出され、犯人は全員検挙されました。

→アメフト被害者選手の父!奥野泰俊氏の経歴!現役大阪市議会議員だった件

今回のまとめ

あさま山荘事件とは、警察が包囲する中での人質事件として日本最長記録の事件です。人質の限界とされた10日目に行われたのが、山荘内部の階段を鉄球で壊す作戦です。

鉄球作戦を実行したのは、白田組の白田弘行さんと五郎さんの兄弟でした。鉄球は一撃で階段を壊しましたが、作戦中にクレーンは故障してしまい、作戦は失敗しました。失敗の原因は、公式に発表されているのと、実は違っていたそうです。

→日本大学フェニックス!アメフト部の歴代監督と栄光

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする